2010年11月:中欧6カ国旅行(2010/11/23〜12/3)

旅行仲間の多くの人からアウシュビッツには一度は行ってみた方がいいと言われていてポーランド1国だけのツアーは面白みがなく行く気がしなかったが、今回毎日いろいろな観光地を巡る例によってお得なツアーがあり、何より最終日がウィーンで今年はリタイア以来10年続けていたウィーン音楽詣にまだ1回も行っていなかったため出かけた。行程はミュンヘンから入りバスでノイシュバンシュタイン城、ビース教会、ロマンティック街道、ローテンブルク(独)、プラハ、チェスキークルムロフ、テルチ、ブルノ(チェコ)、アウシュビッツ、クラコフ(ポ)、ブラチスラバ(ソロバキア)、ブダペスト(ハンガリー)、ウィーン(墺)を回りミュンヘンから帰る。帰りが大雪の影響で乗継便に乗れず空港で一夜を過ごし1日遅れで帰国(荷物は3日遅れ)。その上成田が強風のため着陸が3回目に成功という怖〜い経験をした。

この3月に続いて2回目の訪問。前夜降った雪でシャトルバスが運休、絶景ポイントのマリエン橋に行けず、またまた徒歩で30分かけて坂道を登る。麓から撮ったノイシュバンシュタイン城。


お城の中から外を撮る。写真は内部はダメだが外はOK.前回は全面撮影禁止と言われたが。。

ローテンブルク市庁舎前広場。クリスマス市の準備をしていた。

ローテンブルクからバスでプラハに向かう途中、昼食をピルゼンのビール工場(バドワイザーはここが発祥の地)のビアレストランで頂く。
さすがにチェコビール(ピルスナー)はおいしい。

プラハ城の大統領府を出た高台から見た百塔の街プラハ。

また世界遺産チェスキークルムロフ。でも何回来てもいい街だ。

世界遺産テルチの街並み。10数年前家内と初めての海外旅行で訪れた思い出の地の一つ。全然変わっていない。当時はチェコ人のバスの運転手も知らずGSで聞きながら行ったことが懐かしい。実際にはかなり暗かったが普通のデジカメの高感度撮影でこんなに明るく撮れた。寒くて早々に退散し出発時間までcafeにいた。

今回のツアーの目玉アウシュビッツ収容所。覚悟はしていたがあまりにも衝撃!もう言葉も出ない。

捕虜を銃殺した場所。この道路を挟んで反対側は新薬の効能を確かめるため等の人体実験をやった棟だそう。この近くの棟の廊下に延々と貼り出された男女別に髪を切られた生気のない顔写真。何と収容日と殺された日が記されている。収容後すぐ殺された人や3年後等々私の生まれた1941年前後が一番多く大ショック。所々に花が一輪さしてある写真もあり何とも言えない悲しみを誘う。その晩は思い出してよく眠れなかった。


戦後、収容所長が処刑された場所。この左横の奥がガス室。

アウシュビッツから10分ほどのところにあるもう一つのビルケナウ収容所。この建物下が線路で、家畜同様に貨車で送られて来た捕虜が降ろされた所。ここで2グループに分けられ・・片方はすぐにガス室送り(勿論当人達は知らない)、他方は強制収容棟送り・・映画シンドラーのリストやアウシュビッツと言えばここの悲しい光景が出てくる。我々が着いた時は吹雪だったが、防寒着を着ていても寒いのに身ぐるみはがれた大勢の捕虜が裸足で歩かされ、それぞれの方向に行かされたなんてとても人間のやることとは思えない。想像を絶するむごさに言葉なし。

クラコフ。昔はポーランドの首都で日本でいうと京都みたいな所。うちのオケのVa奏者のTさんが以前ここに赴任していて良い所と聞いていたのでワルシャワより行きたかった街。上の写真はバルベル城。

前ローマ法王の銅像。パオロ2世(だったか)はポーランド出身だったんだ。

バルベル城の絶景ポイントと言われる橋から。クラコフからスロバキアの首都ブラチスラバに向かうバスの中から撮る。

雪のブラチスラバ城。寒かった!

ブダペスト:漁夫の砦からライトアップされた くさり橋・ドナウ川・左奥:国会議事堂

ブダペスト王宮内の建物の入口にあったベートーベンのレリーフ。来たことがあるんだ。

ペスト側にある聖イシュトバーン大聖堂。昔は真っ黒な建物だったけど。ドイツ語ではシュテファン大聖堂。ベートーベンのシュテファン王序曲はウィーンでなくブダペストの王のための曲だそう。以前うちのオケでやった時そう言われた。

ウィーン:シェーンブルン宮殿のXマス市。久しぶりに宮殿内を見学した。日本語ガイド付(初めて)で良くわかった。天才少年だったモーツァルトがマリアテレジア女帝の御前演奏時、末娘マリーアントアネットにボクのお嫁さんにしてあげると言ったとされる部屋もこの中にある。宮殿の上階はウィーン市の一般賃貸住宅になってるそう。世界遺産が自分の家なんてカッコいい!

ローテンブルクからウィーンまで5日間運転したバスの女性運転手(プラハ在住)。愛想はなかったけどタフで安全運転で良かった。ウィーンのホテルに20時頃降ろした後、別のツアーの運転手と2人、車でプラハに帰ったとか。コンサート鑑賞で私はいなかったが後で添乗員から聞いた。1泊してから帰ると添乗員も思っていたそうだが、たった4時間よ!だって。

そして締めはウィーン楽友協会でコンサート鑑賞。今回は2F正面席6列目。演奏はR.シャイー指揮でオケはライプチッヒ・ゲバントハウス。チャイコ:P協とレスピーギ:ローマの泉と松。大迫力の演奏だったがお客の反応はもう一つ。ウィーンの聴衆はドイツのオケに厳しいと言われているそうだが、それにしても音響はいいけどこのホール、客席のつくりがひどく前の席の人が大きいと全く見えない。マーラーが振ったほど昔からあるホールなので仕方ないが。。。旅行直前に聴いたミューザ川崎(ヤンソンス指揮アムステルダム・コンセルトヘボー;マーラー3番)の方が響きなんて全然良かった(勿論客席も)。オケのレベルが違うor曲目のせいかな?


ウィーン発ミュンヘン経由で帰国だったがタイヘンなことに。写真はウィーン空港の雪下ろしクレーンとミュンヘン空港内簡易宿泊フロア。大雪でウィーン発が3時間遅れ動き出したら突然機内が真っ暗。電源が落ちたとのことで機内で待てとのアナウンス。結局6時間閉じ込められて出発。ミュンヘン発の成田行はもう出たとのことだが行くしかない。ミュンヘンに着いたらミュンヘンも大雪で飛ばなかったり英仏等の行き先も大雪で飛べない人でいっぱい!市内のホテルも満杯で空港内で泊ることに。簡易ベッドは足りなくてレストランの椅子を3つ並べて仮眠。眠れる訳もなく朝を迎える。一睡もしなかった添乗員の努力で同じ時間の成田行きに乗れることになったが、63人全員乗れなく20人ほどはコペンハーゲン経由で帰国。ミュンヘン着後21時間で離陸。1日遅れで成田到着したが強風で機体は大きく揺れ着陸やり直し2回、3回目にやっと着陸。ホント死ぬかと思った。ナンマイダと拝んだり泣き出す人もいたりで生きた心地はしなかった。
でも、めったに出来ない経験ができたので、このハナシちょっと脚色して面白おかしく話せるのが楽しみ。
それから、今回初めて成田でヨーロッパOKの携帯を借りて出かけた(昨年のクロアチアからの帰りベネチア発が遅れ乗継のチューリッヒは成田行の出発時間が過ぎていたのに手荷物・ボディーチェックを受け走って乗りこんだが、その時に余りに急がされたせいで(トシのせいで)ノートPCをバッグに入れ忘れ、置き忘れたため今回は携帯にした。最も安全な日本人ツアー客なのでベネチアでチェックされてるんだからノーチェックで通せばいいのに。。。さすがスイス???)。家とはメールで逐次連絡が取れ、お互い心配せずに済んだ。通話料は高いがメール代は国内と変らなくお得。時差も通話する時は考えないといけないがメールなら大丈夫。今後携帯は必需品。出かけた6カ国のどの街や高速道路からでも日本とつながり、すごく便利で役に立った。