ウィーン・ロングスティ(2004年、2005年9月)

リタイア後の夢だったウィーン・ロングスティを2004年と2005年のオペラシーズン開幕に合わせ9月に約1ヶ月アパートを借りて滞在した。AMは時間があったのでウィーン大学のドイツ語講習を受け、夜は2,3日おきに国立歌劇場(オペラ座)、フォルクスオーパー、楽友協会ホール、コンツェルトハウスで聴きまくった。休日はオーストリア内やブリュッセル、ベルリン等へも出かけ素晴らしい時が過ごせた。特にウィーン大学のドイツ語講習は、1クラス10数名で日本人の学生4,5名以外は、皆外人さん、それも若者ばかりで、自分のお父さんより年上の私をクラスメートとして扱ってくれ(日本人の学生は少し引き気味だったが)、久しぶりに学生気分が味わえ・・メンザ(学食)でのみんなとの昼食も含め楽しい時が過ごせ、良い思い出が出来て幸せだった。
もっとも40数年ぶりのドイツ語は全く上達しなかったが。。。。

ウィーンのアパート入口。ウィーン大学のあるショッテントーアから44番のトラムで10分位の所にあり、地下鉄U6のAlserシュトラッセも徒歩5分と比較的便利な場所にあり、タクシー利用は全くせず交通は1週間パスを使ったし、スーパーも200mくらいの所に2件あり安く生活できて良かった。

2004年9月ウィーン大学ドイツ語講習:先生(金髪眼鏡の女性)とクラスメート(豪、スウェーデン、スペイン、ハンガリー、ニカラグア、日本。皆若い!ほぼ20代前半ばかり!席が隣のリンゴをかじりながら授業を受けているスウェーデンのお嬢さんに「終わってからクラスの写真が撮りたい」と言ったら、すぐ撮ろうと言って授業中なのに先生に話し全員集合! 先生も「授業中なのに何よ!」なんて言わず「good idea!」だって。ワタシは考え方が古いのかな??

日曜は色々な催しが用意されバス旅行で世界遺産のメルク修道院・バッハウ渓谷に出かけた。メルク修道院でクラスメートと右隣からスウェーデン、豪、日本。ドナウ川を船で行くバッハウ渓谷観光では乗り合わせた日本人団体客が我々の100人くらいの若者のグループを見て一人だけ年寄りがいるのを不思議がってヒソヒソ話すのが聞こえ「あの人何だろう。きっと引率の先生だろう?or通訳かな?」だって。お答もせずニコニコして聞き流していた。

アパートの管理人から宿泊者の日本人Mさんを紹介された。パリで絵の勉強中でウィーンに遊びに来て今日パリに帰るとか。アパートの庭の片隅でしばし歓談。3年後帰国されるまでメールのやり取りや私がツアーで行った時の自由時間にパリを案内してもらったたりして楽しい時が過ごせた。
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土日に1泊2日でブリュッセルに行く。写真は大野さんが当時音楽監督のモネ劇場。残念ながらオペラはなく別のホールで彼の指揮したモネ劇場オケを聴いた。

修了式。ウィーン大学内の伝統ある講堂だとかで素晴らしい雰囲気。数百人いたが日本人が一番多かった。2位はイタリア。各クラスの最優秀者が読み上げられた。私のクラス(一番下の初級クラス)はスウェーデンのクリスチン。ウィーンで美術学校に行ってるとか。

リングに面したウィーン大学正門付近で別れる前の集合写真。この後外人とは(女性でも)ハグと頬づりで別れたが・・こんなの初体験で最初は照れくさかったが途中から何ともなくなった・・日本人とは「じゃあ」と声のみだった。その後1年くらいはやり取りがあった(ただ独語ではなく英語で。ドイツ語は上達しなかったがホント充実した楽しいあっと言う間の1ヶ月で翌年もまた挑戦した。

夜はオペラ座でシーズン開幕初日の「ファルスタッフ」を鑑賞。指揮が好きな指揮者の一人ファビオ・ルイーズ。写真はカーテンコール。

楽友協会でゲルギエフ・ウィーンフィル鑑賞。ゲルギエフはあまり好きではないけど仕方ない。

楽友協会でメータ指揮バイエルン国立歌劇場オケのコンサート。違うプログラム(R.シュトラウスとワーグナー)で2晩聴いたが素晴らしい響きと圧倒的なボリューム。会場のせいではない実力を持った名手揃いのオケ・・歌劇場の伴奏オケとはとても思えない(偏見?)。それに比べて日本のオケは音がきれいだが内容が希薄な感じ。シンフォニーだけではムリなのか?やはり日常的にオペラをやらないと表現力、構想力等表せないのか。。。

2005年ウィーン大学ドイツ語講習会。クラスメートとメンザ(学食)で昼食。私の前がエジプト人。その右がグラマーなポーランド人(毎日目のやり場に困った)。その右は日本人の学生。左隣の2人はイタリア・トリノから。サッカーはどこのファンと聞いたら地元のユベントスだって。ユベントスがトリノとは知らず恥かしい。

最後の授業はウィーン大学の隣のCafeで懇親会。

クラスメートのお嬢さんたちと。自分の娘よりはるか年下なんで最初はドギマギ。でも皆フレンドリーなので自然と笑顔になってしまう。

休日にアルプス越えの初めての鉄道で世界遺産のセメリンク鉄道を通りオーストリア第2の都市でこれも世界遺産の街グラーツへ行く。写真はこの部分を通っているところ。特急は窓が開かないのでセメリング鉄道部分(約40Km)は鈍行で行くがペリ-が日本に来た頃完成したとは凄い!

時計塔のある高台から世界遺産グラーツの街並み。赤レンガが美しい。アーノンクールはこの街の出身だそう。シュ-ベルトの未完成の楽譜はグラーツで見つかった。リタイア直後の6月にここで聴いたアーノンクール指揮ヨーロッパ室内管の未完成は忘れられない名演だった。因みにサッカーのオシム監督は今グラーツに住んでいる。

別の休日にザルツカンマーグートへ1泊2日の小旅行。まず世界遺産の世界で最も美しい街と言われているハルシュタットへ。国鉄無人駅から小舟で往復。

 シャーフベルグ鉄道の蒸気機関車でシャーフベルグ山頂上へ(1728mだったか)。サウンドオブミュージックでもジュリーアンドリュースが子供達と遠足に来ていたシーンがある。

シャーフベルグ山頂上からの景観。360度すべて素晴らしい。最終便で登ったので降りるのも最終便で、時間が1時間しかなく残念!!

 ザルツブルグ・ミラベル庭園。ここもサウンドオブミュージックの舞台の一つ。前方のお城はホーエンザルツブルグ城。

ホーエンザルツブルグ城からザルツブルグの街並み。ここからのオーストリア・アルプスの景観もすばらしい!

ザルツブルグ中央駅からウィーン西駅行き列車で帰る。オーストリア・レイルパスを使ったが便利だった。

ドイツ語講習が終わってベルリンへ移動。翌年のサッカーWorldCup決勝戦の会場となるヒットラーの宣伝舞台となった元ベルリンオリンピック陸上競技場を見学。

素晴らしい会場。大き過ぎて全景が撮れない。決勝戦ではここがいっぱいになるんだ。10万人(だったか)入るとか。

ベルリンと言えばブランデンブルグ門。旧東側から。ここから西側に行こうとした人が大勢射殺されたなんて、全然信じられない。



ラトル・ベルリンフィル オール・ショスタコプログラム Vn協奏曲(ソロ:サラ・チャン・・ダイナミックで踊っているような熱演だった)、交響曲第14番。こんな小編成の曲だったんだ。独唱はクァストホフ(Br)とラトルの何番目かの奥さんのマッティラ(So)。休憩時ロビーの片隅でサラ・チャンのCDサイン会をやっていた。コンマスは安永さん。1stVnに渋谷さん(女性)の顔も見えたがVaトップの清水さんは降り番のよう。同じプログラムをP席と前から3列目正面とで2日間聴いた。2日目の休憩時に以前ウィーン楽友協会で隣の席だった埼玉の男性と再会し、帰りに隣のソニーセンター内のパブで一杯やり帰宅は午前様だった。


後日談(ウィーン大学ドイツ語講習のクラスメート)
ニカラグアのモニカとメールをやっていてまたウィーンに行くと書いたら家に遊びに来てよ。。ということで訪問。私一人では自信がないので、ウィーン国立音大在学中の姪(Vn)とドイツ語講習で一番上のクラスにいてドイツ語ペラペラでまだウィーンにいた日本人女性のAさんも誘って伺う。


姪の演奏を聴くご両親と兄弟姉妹4人(美男美女揃い!)。初めて生のViolinを聴いたということで大変喜ばれた。1月で寒かったので、おみやげの一つのホカロンをあげて実演したら口々に「初めて見た」「Super!!」と大喜びされた。昼食をごちそうになったが日本語・英語・独語・西語・仏語(お父さんはフランス人。Aさんは少し仏語が話せた)が縦横に飛び交い、笑いが絶えない食卓は、時間の経つのも忘れオレも国際人になったんだと錯覚しそうになったひとときであったのだ!お母さんは文部省の役人時代に日本にも来たことがあるそう。ニカラグアへのODA援助額は日本が1番と聞かされびっくり!! この後夜はオペラ座でオペラ鑑賞、翌日の日曜日は11時から楽友協会でムーティ指揮ウィーンフィル、終わってからベルリンに飛び20時からラトル指揮ベルリンフィルと信じられないくらい充実した、1月なので凄く安く行けた4泊6日のお得な小旅行だった。